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税制に哲学を取り戻し、

社会の骨格を作る

足りないから課税するツギハギ税制を終わらせる

· 根幹政策

税金の概念が決定的に変わる

政府紙幣の発行が起こす大きなパラダイムシフトは、それが税金の概念を決定的に変えることです。今まで我々は政府支出を捻出する財源として税金を考えてきました。しかし、実は、財源としての税金という概念はもうとっくの昔に崩壊しています。すでにもう50年以上(前回の東京オリンピック直後から)、税収を上回る政府予算を組み、足りない分を政府の借金でお金を作り、それを使うのが当たり前となっていますから。そのからくりは「政府の借金がお金を発行する仕組み」で説明した通りです。平成29年度予算案でも、63兆円の収入に対し、83兆円の予算を組み、20兆円のお金を政府の借金で発行しています。つまり、この50年以上、一度も税収の範囲内に収まっておらず、毎年新たな借金を増やしてお金を発行し、それを使ってきた。もちろん、毎年足りないのでその間、一円も返していません。そこで浮かぶ疑問は、足りないお金を借金で作り出し、一円も返さなくて良い(実際50年以上一円も返していないし、今後も返す見込みは全くない)なら、最初から税金など取らずに全て借金で作って使えば良いのではないか?、というものです。さらに言えば、フェア党の主張通り政府紙幣でお金を作れるようになれば、借金も不要かつ税金も不要ということになります。本当にそんなことが可能なのでしょうか?

確かに理論上は可能です。しかし、そうすべきかと言うと、フェア党は違う考えを持っています。なぜなら、税金には重要な意義があるからです。それがいつの間にか忘れ去られているのは、今まで、「足りないから課税する」という場当たり的な税制に終始してきたからです。そしてその根底にあるのは間違った財源論。すなわち、支出は税収の中から、そして政府の借金は税金で返すというもの。しかし、すでに「政府の借金は税金で返してはならない」で説明した通り、政府の借金は今のお金の発行の仕組みの当然の帰結であって、不可避なのです。誰かの借金としてしかお金が発行されない仕組みの中で、民間に対する借金は必ず上限を迎えます。無限に続く経済成長もなければ、無限に増やし続ける民間融資もあり得ないからです。そして、最終的には政府が借金を増やし続け、お金を増やし続ける羽目になる。しかも、それにももちろん利息がつきますし、民間から集めた税金も元々は誰かの借金として発行されたお金で、そこにも利息がつくのです。ですから、それを使って行う政府事業も、民間よりも高い投資効果を上げないと金利に負けてしまいます。そして、それは必ず負けるのです。何故なら、橋一本、道路一本の建設が民間の生産性を劇的に上げた時代ならともかく、日本のような成熟国で、民間投資よりも高い経済効果を上げる政府事業などほとんど残っていないのです(あれば民営化されます)。結局、今の政府に残っているのは、教育、社会保障など、短期的には儲からないことばかり。それらをいくらやったところで、それが新たな税収として戻って来るはずもなく、借金が膨らみ続けます。財源論はすでに50年以上前に破綻していたことはすでに歴史が証明しています。その事実を無視し、いつまでも思考停止に陥っているから足りないから課税するツギハギ財政に収支するのです。今こそその事実を直視し、当然の解決策として政府紙幣を発行すれば、税金の概念が根本的に変わります。すなわち、税金は財源として集めるのではなく、課税すべきものに課税することであると。そこで重要になるのは「何故?」「何のため?」という意義であって、足りるとか足りないとかではなくなるということです。

新しい税金の意義

財源としての税金の役割が終われば、税金の存在理由は次の二つになります。一つは、政府紙幣の発行とセットで、金融調節を行うこと。つまり、政府支出と税金の差額が「政府支出>税金」であれば、足りない分は政府紙幣の発行で賄い、「お金を増やす」ことになります。逆に「政府支出<税金」ならば、「お金の回収」ということです。これはすでに「政府紙幣発行後の金融政策」で説明した通り、より機動的で公平な金融政策としての重要な役割です。もう一つは思想、哲学の体現。それは、上述した「何のために誰から(税金を)取って、何のために誰にそれを(政府支出として)渡すか」の「何のため」に相当する部分であり、本来どうあるべきかという価値観と、それに対して今どうなっているかという現状認識に基づいて導き出されます。どんな思想や哲学が今の世の中をリードすべきかは、その時々の選挙で国民が選択し、それを実現する手段としての税金と政府支出という位置づけです。それは例えば、どの程度の所得の再配分を行うか、どんな活動を進行するか、抑制するか、その時々に合った方向性をお金の流れによってコントロールしようとするものであり、それが骨格となり、国家の形を作ります。ですから、それは決して場当たり的なものになってはならず、本質的な価値観と、現状に対する鋭い洞察に基づき、進むべき方向を明確に示すものでなければなりません。

消費税を即刻撤廃する

場当たり的な税金の最たるものは消費税です。一昔前、直間比率(所得税などの直接税と消費税などの間接税の比率)の見直しなどということが言われ、いかにも間接税を増やさなければいけないという論説が盛んに喧伝されましたが、それはあくまでも間接税の方が景気後退時にも「安定的な税収」になるという財源論に過ぎません。それこそ「足りないから課税する」のにもっともらしい理屈をつけているだけです。逆に考えると、景気後退時に間接税で安定的な税収を得るということは、それだけ無理矢理経済からお金を吸い上げるということです。デフレの時に最もやってはいけない政策です。お金が回るスピードを上げてデフレを脱却しなければいけない時に、お金を使う度にお金が減る税制を導入したら、お金が回らなくなるぐらい誰でもわかります。それでも仕方ないと何とか納得していたのは、政府の借金を返すためと騙されていたからです。「絶対に信じてはいけない大きな噓」で説明した通り、今の仕組みではそれが不可能であることがわかれば、それが思想的に何の正当性もないことがわかります。人が動いて価値を交換する度にお金が発生すれば、人の活動を抑制し、一人一人の大事な時間を無駄にします。今動かなければ、貴重な人生の残り時間がどんどん減り、未来の可能性を狭めて行くのです。消費税は減税どころか、今すぐ撤廃し、時計の針を未来に進めるべきです。

分離課税と所得税の見直し

日本の所得税は累進課税となっており、所得によって税率は5%から45%まであります。しかし、株式売買やFX、土地などの資産の売買で得た利益は一律20%(地方税+所得税)(土地の場合、保有年数、内容によって変わる)となっています。所得税は基本的に、労働して価値を生み出した場合の対価として支払われますが、分離課税の対象となる譲渡所得は、市場で資産を売り買いした時に上がる差益に過ぎず、実際の価値は何も生み出しません。しかし、そちらの方が最高税率が低いということは、労働よりも投機でお金を儲けることを奨励しているようなものです。これは見直す必要があります。いきなり分離課税を廃止すると市場が混乱する可能性がありますが、大きな方向性としては、土地のように短期保有と長期保有を段階的に区分し、所得金額と保有期間に応じた税率を設計し、最終的には労働所得よりも高い税率を課すようにしなければなりません。投機的な取引を抑制するために、短期的な売買益には6〜7割の税率を適用すべきです。そのせいで株価や資産市場が下がることも予想されますが、大事なことは市場価格ではありません。それによって人々がどんな活動に時間と労力を使うのか、ということです。そもそも日本国中が投機で儲けようとすれば、実質的な価値が何も生まれない国になってしまうのですから。どちらが大事かは明らかです。

法人税について

法人税の問題は、もはや税率の上げ下げの問題ではなくなっています。本来、企業とは社会の公器と言われ、人々の幸せのためにあるべき存在です。しかし、いつの間にかそれが株主のものとされ、利益を上げることが全てとなり、労働者は搾取の対象となりつつあります。利益を最大化するには、コストを低く抑えて高く売る、つまり、大多数の人(労働者であり消費者)からいかに奪うかという論理で動くからです。しかも、それで上げた利益への課税逃れのために、大企業が世界中を逃げまわっている状況では、法人税はもはや根本的な解決にはならないでしょう。問われているのは社会的正義です。それを実現するには、株主至上主義のアングロサクソン型の資本主義を根本的に改め、労働者、取引先、顧客、社会を重要な関係者として認識し、その利害を包括的に調整する企業のあり方の枠組を作る必要があります。そのためには税制だけではなく、様々な法整備が必要です。もはや自由化すれば良いという時代は終わりました。そして、これは国内だけの規制に留まらず、多国籍企業の行動を規制する国際的な取り組みも必要になって来るでしょう。為替規制も真剣に検討すべきです。為替市場は完全なゼロサムゲームですから、課税逃れの資金移動や投機的資金移動をフリーパスにし、そこで実需以外の資金が膨大に動き、莫大な利益を上げれば、大多数の人がその分奪われることになるからです。そろそろ我々は、今ある仕組みをそのまま受け入れるのではなく、本来どうあるべきかをゼロベースから考えて、おかしいことにはおかしいと言い、根本的な変革を始める時期に来ています。

相続税について

相続税というのは、とても思想的な税金です。富の格差を世代を超えて継続させるのか否か、また子を思う親の気持ちはどこまで尊重すべきか。それらに対する考え方によって、税率や制度設計が変わります。前者の答えが否ならば、相続税を100%にすれば完全に断ち切ることができます。生まれる環境を全く選べない子どもたちにしてみれば、完全に断ち切るのが最もフェアな状態でしょう。しかしそれでは、事業を営んでいる場合などはその継続性に問題が出るでしょうし、親の子を思う気持ちも無視できるものではありません。また、例えば教育費の無料化や土地の私有制度の見直しなどとも絡めて考えれば、必ずしも100%にしなくても、よりフェアな制度を作ることは可能かもしれません。いずれにしても、大事なことは、多くの人にとってフェアな税制とは何か、という観点で議論を進め、それを制度に落とし込んで行くこと。ここで挙げた考えは、私たちが考えなおさなければいけない膨大な数の税金のごく一部に関するものですが、その一つ一つについて「何のため?何故?」を問い直し、あるべき税制の形を作って行くことが肝心です。